以前のエントリーへのお返事ありがとうございました。コメントで書くには長くなってしまったので、またTBさせていただきます。
さて、わたしも、ひろゆきさんと同様、松永さんが「愛国心は必ずしも必要ない」とお考えとは思いませんでした。最初のエントリーに「本当の愛国というのは?」とありましたから。
今回の3つ目のエントリーで、ようやく松永さんの考え方が理解できたように感じます。
愛国(3):「日本を誇る」必要があるのか 絵文禄ことのは よりそもそもの前提について説明不足でしたが、私はそもそも「愛国心そのものが必要だと思っていない」のです。だから、「正しい愛国心」を主張したというのではなく、「愛国と憎悪が一体化している人たちは、愛国といいながら、本当に国を愛していることになるの?」という問題提起です。
結果的に私は生まれ故郷である日本を愛しているつもりだけれども、積極的にこの「国」を愛さなければならないと思う気持ちは特にない。「国」という単位に対する愛を(家族や地域や会社や学校といった単位に対する愛というものについて最初の記事で書いたのと同様)、それを目的として培おうというつもりにはなれません。また、そんな義務も何もないと思います。
こういった考え方は、日本では何ら珍しくはありませんが、日本人的思考に全く理解のない外国の方と会話する際には、まんま伝えてしまわないほうが良いと思いますよ、おせっかいながら。危険思想の持ち主だと疑われる可能性があるかと(笑)
「論点のズレ」というより、わたしと松永さんの考え方は、途中までは同じだけれど結論が違う、ということのようです。
・今現在、反日感情を持っている人に対して、「お前がオレたちを嫌うなら、オレもお前たちが嫌いだ」とケンカしたって無意味なので、これは個人個人の交流によって偏見を解くしかない
・中国政府が国策として反日感情を高めているのは不当であり、抗議するべき
ここまでは、だいたい同じなのだと思います。
で、結論として、松永さんが「カン違いの愛国心は無意味。わだかまりを解くには民間レベルの交流が重要」という風に考えていらっしゃるのに対し、わたしは「日本は民主主義国家なのだから、日本政府が中国政府に抗議するには世論の後押しが必要。従って一般の人が『中国が悪い!』と声を上げることは必要(その為にも、お子チャマ嫌中・嫌韓な人はもっと賢くなってね)」と考えているわけです。
それと、「愛国心」についても考え方が違いますね。わたしの考え方は前のエントリーの後半で書いた通りです。
松永さん流の「国や考え方の違いよりも個人個人が重要」という考え方では、同じように考えてくれている外国人となら分かり合えますが、「自分の国や民族のことを大事に思っている」人たちを「理解」することはできないのではありませんか?
21世紀に入って頻発している民族紛争を見てもわかる通り、世界には「自分の生まれ育った民族や文化」をとても大事に考え、戦争までしている人たちが大勢いるわけです。
そういう人たちを全部「無意味なことにこだわってる、かわいそうな人たち。理解不能」と見ていらっしゃるのですか?
わたしは、ネットで良く見られる「お子チャマ嫌中・嫌韓厨」の中には、これら海外の人々の「愛国心」をきちんと理解できていないからこそ、「お前がオレを嫌いならオレもお前が嫌いだ」と単純に反応してしまってる人が少なくないと思っています。
そして前のエントリーにも書いたように、日本人観光客がカネの力に任せて好き放題して日本人の評判を落としているのも、「自分が日本人だという自覚」や「相手の国を敬う心」に欠けているからではないでしょうか?
全ての人に「国なんて関係ない、個人が重要なんだ」という価値観を押し付けるのは無理です。従って、どんなに個人個人の交流を深めたって、1人でも「カン違い日本人」がいればまた「日本人は帰れ!」となってしまうことでしょう。
松永さん個人が「自分は日本国をあまり大事だとは思わないけど、相手の国や文化や宗教は尊重する」という主義を採られることに反対するつもりなどは全くありません。ただ、それは他人の目には「外国びいき」と映ることでしょう。
わたしとしては、「自分の国を敬いましょう。そして、外国の人たちも自分達の国を敬っているのですから、外国のことも敬いましょう」というほうが、ずっと自然だと思うわけです。
この分析はなるほどなあという感じです。
ただ、私の考えは「自分は日本国をあまり大事だとは思わないけど、相手の国や文化や宗教は尊重する」じゃなくて、「日本人だろうと外国人だろうと、だれの文化や宗教や考え方や風習も尊重する」です。そして「自分が日本人であるということはあまり大事じゃないと思う」「だから日本に対する評価は高くても低くても自分は気にしない」「相手の国に対しても、特徴は述べるが、国籍によって相手の中身を判断しない」ということです。なので、最後の結論のような「外国びいき」ということにはならないんじゃないかと思います。甘いですかね?
集団という複雑な概念を理解しようという気概がないんでしょうか?個人主義の方々は。文化や宗教や考え方や風習を美術品かなにかと勘違いしているように思ってしまいます。そして国という概念はけして抽象的な概念ではなく「体」のあるモノだと私は思います。
>松永さん
わたしは、今回のエントリー読んだので理解できました。
ですが、またいつか松永さんが、海外の反日運動等に関する記事を何も意識せずに書いたとすると、松永さんは反日運動にはまったく怒りを感じない分、日本の嫌中勢力への批判の割合がきっとまた高くなってしまって、何も知らない読者から「中国びいきだ!」と言われてしまうんじゃないかと(笑)
あらかじめそのあたり断っておいてから書いたほうがいいかもしれませんよ?!
>駄文ですみませんが失礼さん
「集団」全てについてなのかは分かりませんが、「国」とか「地域」に関しては全体的に意識が薄いと思います。若い世代にとっては、生まれたときから日本はあったし、戦争で脅かされることもないし、外国に移住する人も少ないですから、考える機会も少ないですしね。
価値観とはほんと色々あるものですよね。世の中の何に価値を置き、何を優先し、何をすばらしいとするのか。
そういう個々人の思いはどんな所から(根源?)出てきたものなんだろう。。で、そういう考えってその人の人となりとか生活、人生とかに何かしらの特徴を与えているんだろうなあ・・
っとか考えちゃいました(笑)。。バカな頭で(苦笑)。
例えば極端な話、それぞれのお考えが全世界に浸透していった場合は、世界はどうなるのかなあ・・・
なんて想いを馳せてしまっちゃったりして(^^;)。
どんな世界になるのかなーって。興味部深いデス。
戦争とか平和ってなんなんでしょうね。
なんで起るのでしょうか、、どうやったら無くなるのでしょうか。。
また、戦争はなくす必要のないものなんでしょうか。平和っていらないものなのかな、、とか。
憎しみってどうして生まれてどうなったらその憎しみは
消えるのだろう・・・
などなど・・・色々考えさせられました。
皆さまのご意見から、価値観ってほんとその人が‘何’を大事というか優先させたお考えを持っておられるのかを反映してるなあ、、って気付かされます。
勉強になりました。m(_ _)m
>かなるっぱさん
もちろん、戦争が無くなるに越したことはないのですが、ほとんどの人は、好き好んで戦争しているわけではないんですよね。
例えば、国内で数の多い他民族に支配されて、彼らの文化を無理やり押し付けられちゃって、「自分たちの自由を取り戻す為には、武器を持って戦うしかない!」と決心して戦っている人の耳元で「戦争はんた?い、平和を愛しましょう?」と単に叫んだって何も解決しないですから、戦争やめさせる為には知恵を絞って問題解決方法を見出して行動をしなきゃなんないんですよね。でもそれって、ある意味戦争するより難しいわけで…。
こちらの記事を読んで、ニヒル中道に対して抱いていたもやもやをさっぱりさせてもらいました。中道な人は、右も左もぶった切って無理やり真ん中(高め)に自分を持ってくるのではなく、必ずあるはずの自分の偏りを自覚し織り込み表明した上で落としどころを提示してもらいたいです。世の中どう転ぶか想像もつかないけど、日本以外の社会で今よりいい暮らしが出来る日本人なんていないに等しいでしょうし、その程度には国家の繁栄は個人の幸せに直結してるんだからあんまり上から見下ろさないでほしいです。
で、私はまあネットウヨクの一種でして、言語能力を高め現実世界でエラくなるのが自分が見つけた正義を押し通す最短距離だと信じており、各所で暴れるいわゆる厨房に対し彼らの行動は利敵行為だと常々思ってたんです。が、最近の世の流れを見るに、厨的行動を取らなくてはニヒルな人にアプローチすら出来ないのではないかとだいぶ考えが変わりました。庶民の直感みたいなのは相当信じていいかなという気になってます。
(以下無茶苦茶長いです、。貴重なスペースを占領してしまいました。。すみません。コメント欄にこんなに長く書いてしまって良かったのかどうか・・・ハゲシク不安。)
>美夜さん
同感です。特に戦争中・戦争しようとしている双方は頭に血がのぼってる。。
道徳が人倫がと投げかけたところで聞く耳持たない。其の考え方は間違ってる、おかしいよって
言うのはあくまで外野から見ているからであって。
当事者からしたら何を偉そうに(怒)って思って余計事態が悪くなるぐらいでしょうか。
でも耳に入ってなくても投げかけようによっては意味あるでしょう。
(事の大小によっては)考えてみる人なら何かのきっかけにはなるかもしれない。
または、それでも間違っていないと実証できる場合もある。相手にもよりますが。ぶつかっても
大丈夫だという人なら。実は、私はある程度のことならぶつかってみるのは好きなんですけど。
ただし、相手がカラッとした人の場合だけ(笑)。私の友達は喧嘩しても次の日には何もなかった
かのように仲良くできる人ばかりなんですがね(笑)。助かってマス。険悪になったら最悪だ、。
話戻しますが、、トラブルが発生しても解決できない場合も多いですね・・・
人間には精神的・肉体的・その他もろもろの欲を含め、しがらみが多いので(自分も含め)。
それに関わるものに満足できずそれを満足させることに固執しているかぎり(自分の欲求に
目がくらんでいる限り)道徳とか考える余裕なんてない。それに支配されてるから。
って思います。エスカレートすれば他人の被害なんて何とも思わない。。盲目っていうのは怖い。。
だからこそ『現実的な問題解決索』が重要ですよね、戦争を起こさないためには。
人間の心や考え方はそんな簡単には変わらない。彼らの無茶言う欲求を少しでも
叶える方向に持ってくしか事態を変えることは難しいかも。聞く耳を少しでも持てるようにするにはじわじわ
落ち着かせていくのが必要だと・・・人としてそんなこと聞いてやっていいわけ?っていうような
遠回りになる場合もあるかもしれないけど悲惨な連鎖は少なくてすむかな。ま、問題にもよりますが、色んな
良策はそれぞれであると思います。
場合によっては命とひきかえに心理的だったり色んな犠牲はあるでしょうが。ぶつかることをとるか、
穏便な方法をとって待つか。。ただ、二度と戻ってこないものを失ってもぶつかることを優先させるのか・・・
自分が死ぬのはある意味まだ自由ですが、相手を殺すのはやはり・・・今まさに大量殺人をしている人を
とめるのが相手を殺すしかない場合はするしかないかもしれないけど。。
客観的に見ても、『そりゃあんた、、無茶言うで(汗)』ってことを言ったりやったりする人は
大勢いるわけですが。。他人を不幸にするんでなければ個人の自由なんでしょうが。とばっちり
受けるほうにしたらそりゃもうやってられない。我慢にも限界がある。我慢ばかりしてたら自分の夢どころか
色んなものを奪われるわけだし。人は個々で学びや成長していくものをそれぞれもってるはずで。それはとても大切
で必要なことのはず。それは人によっては精神的な要素の強いものだったり、自己実現だったり、バリバリ現実世界
で輝いてくものだったり・・
他人ばかり優先させすぎるとことによっては致命的・・・
自分や周りの人とか守るために戦争せざるをえない・・・そーゆうの多いでしょうね。
特に、無茶言うにしてもほんとに壊れてる相手ならどうしようもないかも・・ですが。
美夜さんがおっしゃるように、当事者からしたら『戦争反対!平和!』って言われても
どうしようもないでしょう。
そういう場合は、明確な解決法がないと駄目ですよね。しょせん、『そんなこと言ってはならない』
とか道徳的、倫理的な話をしたところでそもそもの形成された考えが異なっててそれを正しい
とする人にとっては『は?』ってなことでしょうから。分かってたらそんな問題も起きない。
何をもって相手がそれを正しいとするのかというところが理解できない。というか知らない。経験上の問題、または
そういうことを考えたことがないかもしれない。。誰しも自分が正しいと思うものですしね。まあ、ある意味
自分は全然間違ってるかもーって思っていては何もできない、何も言えない。自信もなくなる。
とりあえずは原因となった物事を軸に双方がなんとか妥協するところまでもってくことでしょうか。
でも第3者が仲裁に入ったりすると『部外者はひっこんでろっ、ウルサイッ』ってなことになる(苦笑)。
仲裁者はあくまで当事者達に受け入れられる、もしくは話に耳を傾けてもらえる者でないと駄目
なんでしょうが、それもまたどういうものだったらそうなのか・・・部外者に俺達の気持ちが分かるもんかっってね。難しい。
特に宗教からむと大変。『絶対』ってものを持っちゃってるから(苦笑)。自分の属する宗教的指導者が言うことは何でも
正しいと信じ込んじゃってるし。
しかしながら、宗教とか全部ひっくるめて眺めてみると、やはり戦争を起こしやすい人たちは精神的にどこか共通点がある
のは否めませんけれども。。戦争が頻繁に起こるところもあれば全く話すら出ないほど無縁なとこもある。明らかに
どこか違いがある。環境は大きなキーワードでしょうが、それでも同じ環境にあっても戦争するものとしないものは両者いる
と考えられます。
じゃあそうならないような人ってどういう精神なわけ?って話になってしまいますが(苦笑)。どうでしょね、。
でもそもそも他人が他人の精神や人格を変えようとするのもどうこう言うのも傲慢なことだし、ましてや軽蔑するのは
どうかと思う。明日はわが身かもしれませんし、完璧なものなど存在しませんしね。尊敬すべきところもあるだろうし。
何が一番なんてそんなもん、誰にも断言できません。
ただ、ある程度自分の考えは持っていないと、とは思います。
でもそれは色んな人の意見に触れたりして変わっていくもの。より練っていったり頭うったり。。考え変わっちゃうことも
あれば、より多面的なものになったり。
いずれにせよ自分を変えるのはあくまで『自ら』という要素が必要。
【平和】に関して言えば、
平和ってものは叫んでいてもしょうがなく、現実的な実現方法を見つけ出し、自ら実行し造るもの。
って私は思います。無茶苦茶長くなってしまいました。。(あーあーー;)
誠に申し訳なく、。すみません。
>通りすごしさん
「ニヒル中道」って、うまい表現ですね!(笑)
自分の頭で考え、実践して得た結論ならそれはそれでいいのですが、「国なんて自分に関係ない」「政治思想なんてもってるのは馬鹿」という態度が「カッコいい」と思ってる人は、どうにかして欲しいですよね。
反抗期の中高生なら仕方ないですけど、20歳過ぎてそれじゃあ…。
わたしとしては、ネットでウヨク厨が暴れることで、もう存在感はネットの外にも伝わったと思いますので、「でも所詮ネットの中だけでしょ?」と言われない為に、ネットの外で実のある行動を取ってくれればなあ、と密かに思っています。
>かなるっぱさん
>平和ってものは叫んでいてもしょうがなく、現実的な実現方法を見つけ出し、自ら実行し造るもの。
おっしゃる通りだと思います、わたしも。
かなるっぱさん、文章書くのお好きでしたら、ブログを始められてはいかがですか??
自分のブログに書いてトラックバックすれば、いくら長くても問題ナシ!です(笑)
泡わゎゎ・・こんな駄文でよくここまで長々と人様のサイトで・・・スクロール、3回、。見直して驚嘆、。
(?□ー;)!そして改行もびみょーってゆう。。
うっうっう、、重ね重ね申し訳ございませぬ、美夜さま。。m(_ _;)m 削除しちゃってもいいですからー。本気で。
ちなみにブログはいったん作ったんですが、デザイン気に入らず廃止状態デッス(苦笑)。自分で作り中デス。
でも人様に見せれるようなもんじゃーないと思いますが、いやはや(苦笑)。しかもほんにくだらん『今日は空が青かった』『今日も空が青かった』『雲はやっぱり白かった!』ぐらいしか書けんかも、。ハハ・・それか↑のように思い立って長々と書きまくるか。。。我ながらひきますねぇーー。はっはっは、。・・・
デザインよりそっちのが問題なんじゃないんか??って感じでして(苦笑)。えへ。
いやはや、いかんともしがたいデス。
すみません文字化けしてしまいました。上のコメントを削除お願いします。
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今回のテーマに関連したことで、ロシア語同時通訳者でありエッセイストでもある米原万里氏が、『嘘つきアーニャの真っ赤な真実』(角川文庫)において、自らのプラハでのソビエト学校(当時は50カ国からの人が集まっていたとのこと)での経験からこのように語っています。
異国、異文化、異邦人に接したとき、人は自己を自己たらしめ、他者と隔てるすべてのものを確認しようと躍起になる。自分に連なる祖先、文化を育んだ自然条件、その他諸々のものに突然親近感を抱く。これは、食欲や性欲に並ぶような、一種の自己保全本能、自己肯定本能のようなものではないだろうか。(123ページ)
自国と自民族を誇りに思わないような者は、人間としては最低の屑と認識されていたような気がする。
「そんなヤツは、結局、世界中どこの国をも、どの民族をも愛せないのよ」(123ページ)
その他、小さい(弱い)国の出身のひとほど自分が国を代表しなければという想いが強いのか、より強烈になるってなことも書かれていたと記憶しています。
私自身長らく「愛国心」という言葉自体を恥ずかしく思うように方向付けられていたという想いがあります(だから湾岸戦争のとき「パトリオット」という名前を恥ずかしく感じ、また平然とそのような名前を付ける神経が不思議でさえありました)。こういう文章に接すると、そういう「後ろめたさ」みたいなのを自分で分析してみる契機になりますね。
私は、これまでいろんな国の留学生と話をする機会がありましたが、どんなに親しくなっても、小学校、中学校時代に得た、歴史観は変えられないと思います。
特に共産党一党支配の国家で学んだ歴史観など、オームの信者と話しているようなもので相互理解など望むべくもありません。侵略した日本と侵略された国家では、100年、200年の歳月を待たねば、互いの時代背景を客観的に理解などできないのです。それまでは、各々の国の国家観があるんだなと、解釈する以外ないでしょう。
そもそも、ヨーロッパの残虐な植民地支配を続けてきた国々が、反省してお詫びした話など聞いたことがありません。19世紀末の列強の帝国主義時代には、植民地にされるか、植民地を作るか、二つに一つしかなかったのです。その中間はないのです。
幸い日本は、白人以外の国で、近代国家となりえることを示した唯一の国家で、日本の成功がなければ、キリスト教徒の植民地支配は、あと500年は続いたでしょう。
多くの外国人と話し合う機会をもった上での、諦めの境地のように得た結論は、「歴史に関することであれば、それぞれの国がもつ歴史観に任せるしかない。」と、いうことです。
私には、20年来のオーストラリア人の友人がいます。彼女は、白人でご主人は中国人です。二人とも日本の大学で博士課程を修了され日本で働いています。
三年前、彼女の父親が来日しました。どうしても九州に行きたいというので、理由をお伺いしました。「私は、九州の炭鉱で終戦を迎えたんだ。」と、思わぬ話の展開となりました。
1942年1月、19才の彼は、Royal Australian ArmyのPrivate(二等兵)としてシンガポールの守備隊に配属されました。一週間もしないうちに、英連邦軍は、大日本帝国の山下中将の軍門に下り、捕虜となってしまったのです。
それから、終戦までの3年半、大日本帝国の行った捕虜虐待は、筆舌に尽くしがたく、1,500人くらいいた所属部隊の生存者は、20%もなかったということです。
今でも彼は、Roumusya(労務者)、Bakayaro(バカヤロー)などの日本軍が彼らに浴びせた、罵詈雑言を断片的に覚えています。
そのような、辛い過去があるにもかかわらず、娘が日本語を勉強するというのに、昔のことだと、反対もしませんでした。博士課程の卒業式には、来日され私も一緒に娘さんの努力を称えあいました。
その彼が、娘の主人となった中国人をオーストラリア人の古い友人たちに紹介しようとすると、皆彼を避けようとします。彼は気付いて、在郷軍人会の友人たちに「こいつは、日本人じゃない。中国人だ。」と伝えると、その場の雰囲気は、たちまち和やかなものとなったそうです。
日本軍は、進駐軍に捕虜虐待が発覚することを恐れ、進駐してくるまでに多くの収容所を破壊しました。友人の父は、九州にでかけ、捕虜収容所のあったあたりに旅をし、「もう昔のことだが、忘れることは、できない。しかし、許すことはできる。」と話してくれました。
戦後、シンガポールは、再び英国に植民地とされ、独立までは、数々の闘争を繰りかえさなければなりませんでした。しかし、一度日本人にたたき出された白人に、勝ち目はありません。フランスは最後まで、見苦しくベトナムの利権を手放そうとしませんでしたが、アジアの欧米勢力は次々と撤退していきました。
それは、日本人が欧米人に逆らえることを彼らの面前で示したからに他ならないのです。戦前の日本以外のアジア人は、怯えるような目で欧米人を見つめ、華僑のように白人に取り入り、利権の上前をはねた人たちは別として、ただただ「イエス、マスター。」を繰り返す、奴隷でしかなかったのです。
まことに私の話は、一貫性がありません。それは、いろいろな人種の方々と話をし、それぞれの立場が少しだけ理解できるからかもしれません。そして、私が日本人である以上、日本人の立場が一番理解できるのですから、日本人の立場で歴史を見、語るべきなのです。
アジア人の主張はアジア人が行い、欧米人の主張は、欧米人がするべきです。その中で極端な固執はせず、譲り合えるところは譲っていくという立場でなければ、結局どこの国のだれからも、相手にされなくなるのではないでしょうか。
>かなるっぱさん
「毎日きちんと書かなきゃ」と考えるとプレッシャーになってしまいますから、お気楽に始めるのがおすすめですよ!
>mobanamaさん
うーん、なぜか削除できないです。ごめんなさい気にしないでください。
分析する際には、ついでに、犯人を推理するときの基本「誰が一番得をするか?」を考えてみてください!
愛国心の薄れも、政治への非関心も、少なくとも一般国民は別に何も得しないんですよね。(……じゃあ誰が…?!(笑))
>Shogunさん
そうなんですよね。皆それぞれ違った文化や価値観を持っていて当たり前。それを相手に押し付けることなく、上手につきあっていくことが必要なのだと思います。
今回のアジア杯にまつわる中国国内の反日感情の高まり、これはいまに始まった事で
はありません。江沢民が上海市書記の立場から1989年に抜擢された後、、内政・
外交・党運営ともに弱体であったため、教育で反日を煽って得点を稼ぐのと失政をカ
バーしようといたしました。ですから、かれこれ15年経っているわけです。
15年というと、当時10才の子供だった青少年は25才、15才の高校生は30才、
そして、今のお子様達は15?20才。ちょうど、インターネットでも、政治運動で
も最も興味のある世代に属します。
これが、中国曰くの歴史的歪曲教育を施されているわけですから、理性的になどなれ
ようはずもありませんし、原則論で立ち向かってもそれは無駄という物。日本国民一
人、一人の努力、などというものも、平時に数十年かけて培わなければいけないので、
これが、現在のような非常時(?)には通用致しません。
私のブログに引用しましたが、中国外交部のコメントも、どうも事態を甘く見ている
節があります。8月7日に何も起こらなければいいのですが。
紫月美夜とコメントしている方々の意見を良く読んで、記事を書いてみましょう。TB
致します。ではでは。
独学でMTを勉強しているものですから、なかなか、ブロッグの使い方に慣れません。TBや、投稿の仕方に妙なところがあってもお許しください。中年のおっちゃんが、若い人たちにお付き合いするのは、大変です。
>これが、中国曰くの歴史的歪曲教育を施されているわけですから、理性的になどなれようはずもありませんし、原則論で立ち向かってもそれは無駄という物。日本国民一人、一人の努力、などというものも、平時に数十年かけて培わなければいけないので、これが、現在のような非常時(?)には通用致しません。
さて、FrankLoydさんのご指摘は、極めて適切な指摘といわざるをえません。私は、1980年頃から始まった、中国の国費留学制度を利用して来日した、初期のころの留学生と親しくしています。彼らは、大学博士課程終了後、帰国したした人もいますし、そのまま日本に留まって、働いている人たちも大勢います。
彼らは、40才前後ですが、「八紘一宇」や「王道楽土」など、旧日本軍の対中政策などには、以上に造詣が深く、心のそこから、日本を憎んでいます。
私にすれば、60年も前の、話をそんなに鮮明に覚えているのなら、アメリカ軍がベトナムから撤退した後、突然中国軍がベトナムに殴り込みをかけ、散々ベトナムに迷惑をかけた後、ベトナム軍に完膚なきまでに叩きのめされ、撤退せざるを得なくなった「中越戦争」の話を聞いてみると、彼らは、何も語りません。
如何なる理由で、他国を侵略し、それに正当性があるなら、一度くらい敗北したからといって諦めず、再度攻撃したら、と水を向けると、その話は、中国国内では、タブーになっているのでしたくないとのことでした。留学生の中には、共産党のスパイがいて、常に見張られていたので、国政に関することは、みんな話したがらないのです。
この一例をみても、中国という国は、フランス革命、ロシア革命、と続いた、国家による個人へのテロとプロパガンダを忠実に継承している国家といえるでしょう。留学生は、毛沢東の行った、文化大革命で、どれほど多数の同胞が虐殺されたか、口コミでは知っているのですが、学校で教えませんし、公式にも報道もされていません。
今の中国の状況を要約すると、発展途上国が、少し金回りが良くなってきたので、突然、愛国意識に目覚め暴走している、といったところでしょう。私は、妙に、昔、力道山がシャープ兄弟や噛み付きブラッシーを相手に、空手チョップで、やっつけるのを歓声をあげて、応援していた子供の頃の自分を思い出します。何しろ暴走する人数が半端じゃないので、問題も大きいということなのでしょう。
日本の東大や阪大の博士課程を修了した人物でも、台湾吸収など当たり前、「国内問題にどうして、他国が口を挟むのか。さっさと、300万、人民解放軍の底力を示すべきだ。」と、酒の席では、のたまわっています。
こういう国とお付き合いするのは、注意が必要です。どうせマトモナ歴史観など、(日本の歴史観が良いとも思いませんが)教えてもらっていない人たちなのですから、対処療法しかありません。サッカーで、極端なブーイングや暴力行為でもあったら、世界中にその非を示し、改善されるまで、中国本土での国際競技大会には、世界中にボイコットを呼びかける等、是々非々で対処するしかないのです。
まともに、情報も与えられない哀れな人々と理解し、冷静に対処療法を繰り返すしかありません。いつの日にか、中国で、三権が分立し、普通選挙が行われ、報道の自由が保証される国になったときに、初めて、日本は、日本の歴史認識を示し、中国は中国の歴史認識を示し、和解とまでは、いかなくても、双方の立場が理解できるくらいに、両国民の民意が、高まるのでは、ないでしょうか。
上記のAnonymousは、Shogunです。異常も「以上」と書き間違えています。ブログは、使うのも維持するのも難しいです。ホント。
>FrankLloydさん
トラックバックどうもありがとうございました。
続きはFrankさんのブログのほうに書かせていただきます!
>Shogunさん
本当に、天安門事件の人たちはどこへ行ってしまったんでしょうか? 主要メンバーは海外に逃れて義援金で優雅な生活送って叩かれてたような記憶もありますが(笑)
今は中国の巨大な人口に惹かれて、黙ってても外国資本が入ってきますけど、「治安が悪くてリスクが見合わない」となれば、次はとっととインドあたりにサヨウナラになるのだということを、中国政府に分からせないとダメですよね。
>美夜さん
「毎日きちんと書かなきゃ」と考えるとプレッシャーになってしまいますから、お気楽に始めるのがおすすめですよ!
毎日更新・・・はげしくプレッシャーデス。。お気楽に始めますw、。どうもありがとうございます(^^;)。
>Shogunさん
いつの日にか、中国で、三権が分立し、普通選挙が行われ、報道の自由が保証される国になったときに、初めて、日本は、日本の歴史認識を示し、中国は中国の歴史認識を示し、和解とまでは、いかなくても、双方の立場が理解できるくらいに、両国民の民意が、高まるのでは、ないでしょうか。
そうなるといいですよねー、ほんとに。教育や情報がいかに大事がって思い知らされます。
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また個人的な意見を少々書いてもいいですか(って勝手に書いちゃうのでどうなんだ?って感じですが^^;)。しかもごく当然のことで真新しい意見でもなんでもございませんが。↓
戦争に限りませんが物事を一面でとらえるのは危険だと思います。日、中、米、露、アジア各国・・・戦争を
各側から見た見解はそこからしか見えない真実ですが、一面(側面)に過ぎず繋がって始めて戦争が見えてくるのであって。それが見えた上で自分の側から見直せば感情や意見も随分変わるかもしれませんね 。
そこから派生して、他の意見を聞きもせず自分側からの事実だけをとらえて感情を抱くのは、ある意味、その狭視的な感情移入によって事実も歪んで語り継がれる恐れがあり。何が事実か信頼性も薄くなります。
マイナスの感情も本質が見えていれば出てこなかった、または緩和されたかもしれませんし。
主張はその『側面からの』事実であり、特に他を知らないうちはあまり感情を持って主張すべきでないと私は考えます。相手側や、他の多面的なものをひっつなげて
その中の一つとして自分の立場を捉えて見ると、感情は別のものに変わるかもしれないからです。各国の主張がつながってはじめて『戦争』を語れるのであって。
各主張はパズルのピースにすぎない、と。
よくある例えですが、『象』を語るのに『しっぽ』しか見てない人は『象とは細くて長い紐だ』と思い、『足』しか見てない人は『象とは太い柱である』、と思っている。象の部分を戦争に置き換えても同じ。
しっぽも足もそれぞれが象の一部であり事実ですが、それだけを『象』に置き換えることはできない、表せてもいない。
だから、戦争にも色んな面があってAとBの国のこともそれぞれが左顔と右顔だけしか見れておらず相手側のことをちゃんと知りもしないであーだこーだと憎しみをぶつけるのは本質から外れていると思うわけで。(本来、憎しみを抱かないのがすばらしいのでしょうが、神仏ではないですからしょうがないですか。)例え100%理解できなくっても知ること、聞くことは大いに効果のあることで必要なことですよね。そういう意味で各国が歪んでない歴史観から自分の立場で戦争に関する主張をするのは非常に意味のあることだと思います。
まあ、そうはいっても人間ですから、他側面からの意見云々聞く前に感情や想像が先にたってしまいがちなんですが(自分にもあります)ひとつの物事を見るときに自分が全てを見れるわけないので他の意見を聞くのは必要ですよね、。(当然のことながら)。
というか、話合いや相手側の意見・考えを聞けないのは辛いことです。自分側の情報しかないのだから事実をとらえられず本来必要のなかった感情も出てくるのではないでしょうか。悲しいですよね、それは。
例え理解できなかったとしても全然違います。あーでもないこーでもないと聞けばすむ話を自分の持ってる情報
の中から答えを出そうとしますしね。それにふりまわされるのは時間と労力が・・・って感じでしょうか。。
話し合いもせず、相手の状況なども知る努力をしないで自分の側から何かを要求したり、怒ったりするのも・・・
自分側からだけで判断すると極端な感情が出てきやすいと思います。余計争いや憎しみをもたらすでしょうし、、
また美夜さんがおっしゃられるように分析するというのはあらゆる角度からそれをとらえないと本質は見えてこないと私も思います。そして分析にはより多くの事実と情報を得なければなりませんよね、、憶測は憶測にすぎないですので。
本質や全体像を把握しないで決め付けるのは公平ではなく、その状態で出てきた感情って一体何なのでしょう、とか思います。
ということがふと頭をよぎってしまったのでつい書いてしまいました、。一意見ですが(苦笑)。
http://sports.yahoo.co.jp/hl?c=sports&d=20040806&a=20040806-00000532-reu-spo
サッカー=中村俊輔「中国は、イランよりは組し易い」(ロイター)
沈静させようと思って、、「アジア杯では、日本は最初からアウェイ・チ
ーム。野次られるけど、イタリアみたいに、物が投げつけられることもない」と言っ
てますよ。エライ!