Part1に続いて、ゲーム業界に参入したSONYの歴史をたどっていきます。

あのころのSONYは、絶頂期にありました。
そして絶頂期にある者というのは決して、その先に何が待ち受けているかに思い至ることができないのです…。

Part2 プレイステーション勝利の要因

1994年12月3日、SCEからプレイステーションが発売されました。
同年の3月には松下電器から「3DO REAL」、9月にはSNKの「ネオジオCD」、11月にセガの「セガサターン」、12月にNECホームエレクトロニクスの「PC-FX」と、いずれもCD-ROMメディアを採用したゲーム機が発売され、「次世代ゲーム機戦争」と呼ばれました。
米国の大手ゲームメーカー、エレクトロニック・アーツが企画したゲーム機でゲーム市場参入を目論む大手家電メーカー、松下。大手パソコンメーカーで、ゲームソフトビジネスの経験もあるNEC。人気アーケードゲームメーカーであるSNKとセガ。そしてファミコンで一時代を築き、スーパーファミコンでその地位を確固にした任天堂。
この強敵揃いの中、どうやってSONYは勝利を掴んだのでしょう?

まず、1994年という時代から考えてみましょう。90年代半ばというと、80年代のファミコンブームの中心だった、当時小学生の団塊Jr.世代が10代後半から20代前半になっています。一部は大人になってゲームから離れているでしょうし、残っているゲームファンたちも、「子供っぽくない」「カッコいい」ものを好む年代です。
この「ヤングアダルト」と呼ばれる世代に、CD-ROMメディアならではの大容量を活かしたハイクオリティな音楽や画像、CGを駆使した目新しいゲームは熱狂的に迎え入れられました。そしてこの世代というのは、ウォークマンを筆頭にAV機器業界で高いブランド力を持つSONYにとって、いわば最も得意とするターゲット層。玩具のイメージから抜け出せない既存のゲーム会社とは一線を画した広告戦略で、「カッコいいSONYのゲーム」のイメージを浸透させることに成功したのです。

そしてもう1つ、大きなポイントがありました。これ以降も、家電業界などの巨大メーカー系企業がゲーム業界参入を試みてはことごとく失敗する中でSONYだけが成功した、その違いは一体何でしょう?
それは、SCEがSONYとSME(SONY MUSIC ENTERTAINMENT)が共同で設立した会社であった点です。SMEとは音楽会社。つまりはソフトウェア産業に携わる会社です。なおかつ、ヤングアダルト層向けの商売のノウハウという点ではまさに適任でした。
彼らは、ハードウェアの規格戦争の勝敗はソフトウェアが握っていることをよく理解していました。ハードウェアメーカーが得てして「いい製品さえ作れば、いずれ自然に対応ソフトウェアは増えるはず」というハードウェア開発者の理論に陥ってしまうのに対し、SCEは参入初期から対応ソフトウェアの充実に力を注いだのです。

最大の成果は、高い人気を誇る「ファイナルファンタジー」シリーズを手がけるスクウェア社(現スクウェア・エニックス)を早々と陣営に引き入れることに成功した点です。ハードウェア規格が乱立する中、多くのソフトウェア専業ゲーム会社(サードパーティーと呼ばれます)は、リスク分散の為にマルチプラットフォーム戦略を採っていました。そんな中で、SCEはスクウェアのファイナルファンタジーシリーズの最新作がPSに独占供給されることをTVCMで大々的に宣伝。インパクトは絶大でした。

また、サードパーティーのタイトル獲得だけでなく、独自のゲームソフト開発でも手腕を発揮しました。
いわゆる「パソコンオタク」で職人気質な社員を抱えてどんぶり勘定で開発を行う会社が当たり前の状態だったこの時代に、SCEは音楽業界の、制作者にロイヤリティ収入によるインセンティブが与えられる契約形態を持ち込んだのです。
こういった変化はSONYだけでなく周辺のゲームメーカーにも瞬く間に波及し、ゲームソフトの大作化に伴って大量に必要になった開発技術者を、ゲーム業界内外から引き付けるのに貢献しました。


SCEはゲーム業界外のクリエイターを起用した斬新なゲームソフトを企画、いくつもヒットさせました。
代表的なところでは、1996年12月発売の「パラッパラッパー」。PSY-Sの松浦雅也が音楽を、ロドニー・グリーンブラットがキャラクターデザインを手がけたこのソフトは、「音楽ゲーム」というゲームの一ジャンルを築きました。

そして、最大の競合相手である任天堂は、当時自滅の道を歩みつつありました。
CD-ROMの採用を見送り、ROMカセットでのソフト供給を続けていたスーパーファミコンは、ゲームソフトの大作化に伴って大容量ROMカセットの原価が著しく上昇、ゲームソフトがどんどん高額化していきます。1996年に発売されたドラゴンクエストVIでは、税抜き11,400円にまでなっていました。
同じく96年6月にようやく発売された任天堂の次世代ゲーム機、Nintendo64は、やはりROMカセットを採用。先行するSONYやセガの、大容量のムービーや音楽で派手に演出されたゲームが既に人気を博していた中ではNintendo64のゲームはインパクトに欠けました。
また、アタリショック(粗悪な内容のゲームソフトが溢れてゲーム市場が崩壊すること。80年代前半に米国で起きた)を恐れ、当時少数精鋭主義の方針を採っていた任天堂はサードパーティーの離反を招き、目新しいソフトが不足。先行メーカーに追いつくことができないまま、遂にゲーム機シェアNO.1の座を明け渡すに至ったのです。


・競合するゲーム専業会社でなかったことから、他のゲーム会社が販売するゲーム機と違い、有名ゲーム会社をサードパーティーとして引き入れることが容易だった
・ヤングアダルト層向けのソフトウェアビジネスの実績があり、他の大手家電メーカーの轍を踏むことが無かった
・任天堂の戦略ミス

以上3つの要因が揃ったことで、SONYは競合他社全てに打ち勝ち、家庭用ゲーム機のトップシェアを獲得すことに成功したのです。

それはゲームファンのみならず、ゲーム業界そのものに変化を、それも多くの人間にとって明るく希望に満ちた変化をもたらした勝利でした。

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Part3 光あるところに闇は生まれる」に続く。たぶんPart4くらいまで続きます

注:この文章はフィクションです (←大人の事情でいちおう書いておきます(笑))

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Synthroid. from Synthroid. on November 20, 2011 2:31 PM

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2 Comments

またまた興味深くみてしまいました…

SCEにSMEが関わっていたのは初めて知りました。
ソフトウェアの重要性、、この単純な事実(これに基づいた経営)がいまだに日本の産業界に根付いていないんですよね。。経団連なんてハードの人ばっかだし。
でもそのSMEが既得権(著作権過剰重視)になり、デジタル音楽市場になってi-pod(i-tunes)にやられてしまうのが皮肉なんですよね…時代や技術の変化は市場を変えてしまうから難しい…

PSで最初のFF7はFFの中で過去最大のヒット作になったのもSCEに幸運でしたね。リスクを取ったスクウェアも凄いと思いますが。

「パラッパラッパー」も懐かしいですね…音ゲーの原点ですね。アーケードとかの業務用にも拡大していきますもんね。

あと、なんだか美夜さんの書いているこの時期の任天堂って、、すご?く今の苦戦している某会社を彷彿とさせますね(笑)コントラストが面白いです。時のオカリナは良いゲームだったんですけどねー…そういえばこの頃はローソンで空のスーファミソフトにダウンロードできたりしてましたね。。進んでんのか迷走だったのか、とにかく任天堂は変でした!
長く書きましたが、特にスピーディに走ってきたゲーム界の歴史は面白いので、part4まで楽しみにしてます!

>kt- さん
ああっ、kt-さんがまたしても続きの話のネタばらしをっ!
…いえいえ、事実を書いているだけなのですからバラしも何もないのですけどね(笑)
って、あ、違った、「この物語はフィクションです。実在の…」なんでした!

Part3は現在執筆中です。書きあがるのは来週以降かな…?

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